あぷふぇる

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人類はなぜ戦争をするのか?(下書き版)

 

こんにちは、管理人のあぷふぇるです。

※今回は思ったことをだらだらと書き起こした下書き版となります。

ウクライナ情勢が緊迫化していますね。

 

タイトルの通りですが、人類はなぜ戦争をするのでしょうか?

と久々に思いました。

 

「そういう生き物だから」といえばそれで終わってしまうのですが、それは一つの結論であって、なぜそうなのかという過程が見えてきません。

 

私は過去に色々あったこともあり、どちらかといえば好戦的な性格です。

 

ですが、戦争で死者が○名などを見る機会があるたびに、国家としてではなく、兵士がなぜそんな行動するのかと疑問でした。

それは911が発生した時も、第二次世界大戦などを歴史で学んだ時も、終戦記念日の黙祷のときも、いつも同じです。

 

いざ戦場に入ってしまうと、「誰か(国家のような何かよくわからない大きなもの)を守る」「自分が殺される前に相手を殺す」といった具合に、戦争が正当化されがちです。

 

ただ、何事にも始まりがあって、基本的には誰も死に向かいたいとは思わないはず(生き物は死の恐怖を畏怖の念を抱えてる)なのに、なぜ始まってしまうのか。

単なる同調圧力なのか、はたまた本心で始めた人がいて、その人のせいで犠牲になるのか。

 

答えはないのだけれど、文字に起こす機会がなかったので思ったことをつらつらと記載します。(後日順番とかはまとめて再アップします)

 

「争いにまみれた種族」

種族とくくってみましたが、これは人類に限ったことではないのかもしれません。

生きとし生けるものは、自然という名の周辺環境に適合するため、常に生存競争をしてきました。

そういう意味で、本能的に常に何かを争うのが正常なのかもしれません。

 

ただ、人類にとっての生存競争は、(自然の長い歴史から見て)一旦終わっており、終わっているからこそ文明が栄えているともいえます。

 

文明が栄えると、「自然の中で生き残る」から、「文明の中で生き残る」に大きな目的が変わってきて、それこそが「豊かさ」を求める根源であるかのように思います。つまり、よく言われる「煩悩」がゆえに「豊かさ」を求めるという、一見本能的な行動に見える事象は、その表面を捉えているだけに過ぎないとも思います。

 

さて、「豊かさ」を求めるには自ずと領土拡大という発想が出てきて、これが戦争の火種となっています。

 

火種が自然発生的だとしても

自然の中で生き残る(生存競争)→文明の中で生き残る=煩悩ではなく本能的に豊かさを求める

という流れの中で、領土拡大が戦争の火種となることはある種自然な流れといえます。

 

ただ、火種が炎になるには別の何かがトリガーとなるわけで、そのトリガー部分に冒頭に記載したような疑問を感じます。

 

基本的に利己的な生き物

人類は大小の差はあれど、基本的に利己的な生き物です。

だからこそ、戦争になった後には「自分が殺される前に殺す」というのが大義名分となります。

 

そういう意味で、領土拡大はしたいけど自分の命は惜しいわけです。

 

一人一人が皆そう思っているはずなのに、戦争が始まります。

 

火種が炎となる時

なぜ始まるかといえば、自分の命は惜しくても、他人の命は惜しくないと思う奴が一定数いるからです。

平たくいえば、「目的のためなら手段を選ばない」というような感じでしょうか。

 

ただ、ここにも疑問が残ります。

 

首謀者は大体殺される

首謀者が大体殺されるという点に着目すると、疑問が浮かび上がります。

戦争責任という問題から目を逸らしたとしても、真っ先に狙われるのは首謀者です。

 

特に近代では、科学技術の進展によって地球環境を(悪い方向に)大きく変えることもできてしまうので、どんなところにいても安全と言えるような場所はないはずです。

 

愚者は歴史から学ばない

ただ、それは「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」というかなんというか。

だからこそ負の歴史、すなわち愚者の歴史が積み重なるのです。

 

 

 

 

 

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2022/02/21 あぷふぇる